抹茶というと、茶道で用いる特殊なものという印象が強い。時にはそれは格別に高尚な近寄り難いもののように思われる。あの大ぶりの茶碗やら、竹細工の茶筅を使うというのも、面倒で大げさな感じがする。観光地のお寺さんで、抹茶一杯と、菓子ひとつばかりを、かなりの値段で振舞ってくれるところがある。どこへ行っても、美味しいと思ったことはない。そもそも、抹茶というものは、あんな不味いものではない。こんなことを言ったら、お寺さんに叱られるかも知れないが、一生懸命、抹茶を造っている産地の人たちの努力を考えると、抹茶はもっと美味しいんだと云わないではいられない。
産地では、普通に飲むための抹茶と、茶道で使う、稽古用の抹茶と、和菓子や料理の色付け、香りつけ、などに使われる工業用の抹茶、茶道の茶会に使う高級な抹茶など、それぞれに細かい気配りをして造っている。
近頃では、洋菓子にも使っている所が多い。安全な着色料であるだけではなく、抹茶のかすかな、苦みを生かした風味が喜ばれているらしい。抹茶を茶として楽しむには、やはり稽古用でないものが美味しい。質の良いものを造るために、生産家がどんな苦心をしているかについては、別の機会に書きたいと思っている。
抹茶は美味しいし、香りもいいし、体にもいいし、色も美しい。そういう抹茶というものを多くの人の日常のなかで、煎茶と同様、なくてはならないものとして、定着させたい。それが

携帯茶寮の本旨である。山陰地方では抹茶を日常の茶として用いているのだそうだ。手軽に、気軽に、毎日何杯かの抹茶を楽しむ暮らしは煎茶と併用することで、一層ゆたかなものとなるにちがいない。
何年も昔、岐阜のある山中で、いい仕事をしている陶芸家を尋ねたことがあった。早速工房に案内されて座に付くと、工房の主が、母屋に向かって大声で、叫んだ。

「母ちゃん、母ちゃん。詩人が来たよ。お茶を入れてくれ。」工房の母ちゃんは、前掛けをつけたまま出てきて、さらさらと茶を点ててくれた。茶碗は工房の主の最近の作品だそうだ。桃山時代の史跡の出土品を模したと云う茶碗の肌合いに抹茶が映える。碗を差し出した母ちゃんの手指はごつい感じだった。母ちゃんは客と主とに茶をすすめる。あの時のあの茶は忘れられない。母ちゃんのあの点前は、それまでに拝見したどの茶人のものよりも素直で、飾り気のない、清々しいものだった。

普段着のままの一碗の茶、茶事本来面目無しと云う思想が、茶道にあるが、その本来をそのまま生きた人間に観たという思いがあった。雑然とした中に一定の秩序を感じさせる工房での、それは初秋の午後であった。「母ちゃん、おいしいよ。」そう言って工房の主は子供っぽい眼で客を見た。客は何も言わずに、茶碗をもった両手を膝に置いて母ちゃんの方をみた。窓から入って来る山風が、母ちゃんのほつれた髪をわずかに動かした。客との工房の主と母ちゃんとは、掛け替えのない友としてそこに居た。抹茶は煎茶と同じ茶の樹の葉である。それを粉上にしてまるごと飲むところが、煎茶と違う。茶を粉末にして茶筅を用いて飲む習慣は、中国の宋の時代に始まった。